当店紹介

夢酒便(むっしゅびん)
有限会社ワタナベ酒店

〒760-0013
香川県 高松市 扇町
1丁目28-30
TEL:087-821-4584
FAX:087-821-4972
営業時間9:00-19:30
休日  毎週日曜日




 

 

 

<酒蔵ロマン街道 酒国の旅>

造り手と飲み手を結ぶ、熱き血潮のメッセンジャー
お酒との出合いを求めて、蔵元さんとお付き合いをしていると、とんでもなく旨い酒に出合う事があります。
そんなお酒を造り手と飲み手と一緒になって感動できるのが、酒屋の本望。
「忘れられない味わいを、一人でも多くの方と共に」これが当店の最終目標です。
酒造りは酵母という生き物が相手で、1樽ごとが生みの苦しみ。蔵人さんが、昼夜を通し身をすり減らしながら、ひと冬の間取り組んでおられます。
その熱き心の何分の一かでもお伝えできるよう蔵へ何度でも足を運びます。
地元文化を共有できる香川、四国の酒蔵情報を連載します。
手造りの伝統を守りながら美酒を造り出す蔵人たちをご一緒に応援していきましょう。

<酒蔵ロマン街道 酒国の旅 その1>
高杉晋作も飲んだ酒 凱陣をたずねて
 国道32号琴平街道を西へ土器川を越えると、大きな鳥居が立っている。ここは金刀比羅宮の門前町。鳥居をくぐり少し車で走ると、榎井小学校の北側に道路に大きくはり出した古木の木立が風に吹かれて少しゆれていた。通り過ぎ越しに北に折れ、春日神社の正面を過ぎる。そして一つ目の路地を東に曲がると、なぜか懐かしさを感じる一昔前の町並みの中に、酒名凱陣、丸尾本店の母屋が見えてきた。榎井の古い町並みは、江戸時代から続く旧家が残る門前から続く参道。僕はふと幕末の獅子が、日本の夜明けを語り、酒を酌み交わしていた時代にタイムスリップしてみたくなった。
 幕末の琴平は、庶民の信仰の場である金刀比羅詣で賑わう自由な雰囲気の漂う進歩的な町であったようだ。 1865年(慶応元年)4月その街の雑踏の中に脱藩し刺客から逃れていた高杉晋作がいた。
 琴平は、日柳燕石と長谷川佐太郎という二人の偉人を輩出している。
燕石は教養人でありながら遊興の博徒であったが、多くの志士達から慕われていた。そんな燕石をたよって、晋作は琴平へ逃避行をしていた。燕石自身、尊王の志を立て維新の獅子となって活躍した。 同郷の佐太郎は凱陣の元のオーナーで燕石を経済的に支え、また満濃池修築に全財産を投げ出した郷土の恩人である。
 晋作が、幕府の刺客に捕まりそうになった時、蔵の酒樽の中に身を隠し難を逃れた話は有名である。晋作が無事に逃げ延びた時の佐太郎の詠んだ短冊が今も丸尾本店に残っている。
「ぬれものは無事に届いてしぐれけり」
 幕末の当時、満濃池は洪水で決壊していた。佐太郎は、幕末から明治にかけて満濃池修築に私財を使い果たすことになる。
 現在の榎井小学校の北西側一角に当時の燕石遊興の館、象頭楼が移設されている。
晋作をはじめ幕末の獅子達がここで杯に酒を注ぎ、象頭山を映して飲み干していたそうだ。暮れ遊ぶひと時、まさに日本の夜明けを語るにふさわしい。
晋作辞世の詩「おもしろきこともなき世をおもしろく」


高杉晋作も飲んだ酒 凱陣をたずねて 続き
 丸尾本店の酒蔵には語り継ぎたい歴史ロマンがあった。前回、幕末から明治へ動乱の時代を彗星のごとく輝いていった志士と郷土の偉人達に焦点をあてて、凱陣スピリッツの原点を探ってみた。
 その後の話だが、後継ぎの途絶えた凱陣の元オーナー長谷川佐太郎から、酒番頭として佐太郎を身近に助けてこられた初代丸尾忠太氏が酒の権利を買受け、2代目孫一氏、3代目忠男氏を経て、現在4代目の丸尾忠興氏に至っている。
 さて、凱陣の味わいを単純明快に言うことは出来ないが、あえて一言で言うとすれば、「熟成に耐えうる力強さと旨さ」ではないだろうか。その強さと旨さはどこから来るのだろうか?
私の独断でお許しをいただければ、蔵元の酒造りの情熱と経験の中で、どれだけ手間隙掛けて酒を造れるかにかかっているように思う。そういう意味でも人任せにせず蔵元自らが、陣頭指揮して酒造りに乗り出した丸尾氏の心意気に私は心酔している。
 丸尾氏は小仕込、手造りにこだわっておられるが、重要な工程のひとつとして、限定吸水作業を挙げている。 酒造りの浸漬工程(お米を水に浸ける工程)において時間を限定して給水する方法で、作業は秒単位が勝負の経験と感が頼りの手作業。この水歩合の正確さが、造りの上でのウエイトの半分を占めている大切な工程だそうだ。 これを、この蔵では大吟醸から普通酒まで全部手を抜かずやっておられる。丸尾氏は、「手造りの良さを生かし自分の目の届く規模の小仕込で、セオリーどおりやってるだけですよ」と謙虚に話してくれた。
 他にも、凱陣の味わいを決める要素がたくさんある。昔ながらの和釜と木樽の甑(こしき)、木樽職人がほとんどいなくなった現在において木樽の甑を使っている蔵は全国でも数蔵ぐらいではないだろうか。それから仕込水として満濃池の伏流水、蔵癖に合った酵母選び等、すべてが揃って凱陣の素晴らしい味わいが出来上がる。
 凱陣のお酒の楽しみ方はいろいろある。タンク1本づつでの味わいの違いを楽しむ。四季の移ろい中で味わいの変化を楽しむ。お酒の力強さを熟成でまろやかにしてビンテージ物を楽しむ。燗酒を楽しむ等、いろいろやっていただきたい。なにしろ開栓後、最後の一雫まで美味しく飲める酒なのだ!  地元香川県から全国に誇るお酒にしてくれた蔵元丸尾氏の努力に敬意を表し、今後とも旨口で、熟成をも楽しめる酒を醸し続けていただきたいと願うものである。
 地元飲兵衛のみなさん、地元の誉れとしてこれからも応援していこうではありませんか!

<酒蔵ロマン街道 酒国の旅その2>

讃岐の酒「讃美」誕生
 琴平町から国道377号線を西へ峠越えして山本町に入ると西へ向かってゆるやかに下る伊予見坂がある。この坂より西を仰げば、晴れた日に伊予(愛媛県)まで見渡すことができる。もう少し進んで財田川が見えてきたら川越しに右に曲がり、川沿いの道をまっすぐ進めば、右手に観音寺市の川鶴酒造が見えてきた。
 市内の北西に四国に初めて稲作が伝わった地と伝えられている小さな漁港、室本(むろもと)3がある。この地は、昔から米こうじ造りが盛んなところであったようだ。「戦前にはこうじ屋が100件余りあった」と、古ぼけたこうじ屋の看板だけが残っている民家のおじいさんが語ってくれた。今でも室本にある皇太子(おうたいし)神社には、全国のこうじ屋からの参拝が続いているとのお話もいただいた。稲作が伝わった当時のお米は、赤米、黒米、緑米、紫米などという古代米であった。現在でも、神社の神饌米として、同市流岡町にある加麻良(かまら)神社で作られている。なるほど観音寺はお米に縁のあるところらしい。
 古代米から、酒米の山田錦へと話は飛ぶ。平成11年春、われわれ高松酒販青年会有志は、ある目的をもったお酒を造るべく、川鶴酒造の前の田んぼに集まった。讃岐のお米、讃岐の匠、讃岐の水にこだわった“讃美”と命名したお酒を造るためだ。
 酒米に選んだのは山田錦。これを約30cm間隔で1本づつ手植えしていく。1本植えするには、理由がある。簡単に言うと稲が本来持っている力を十分に発揮させるためで、しっかり根が張ることで、倒伏しなくなるのだ。
 造りについては、川鶴酒造の川人雄一郎氏、越田専務、藤野杜氏、頭の船場氏、セールスの深澤氏と何度となく話し合った。我々の思いを造り手に託したのであった。タンク1本を囲ってすっぴんのお酒、無ろ過生原酒を造ってもらうためだ。

讃岐の酒「讃美」誕生 続き
 毎年、豊中町(現在三豊市豊中町)にある、宇賀(うが)神社にて、五穀豊穣を祈って、どぶろく祭りが開催される。前記したが、ここから二十数キロあまり離れた室本は四国に初めて稲作が伝えられた地でもあるから、ずいぶん古くからの神社であろう。この地にまつられている笠縫の神は、酒造りの神として知られているそうだ。ここで造られる御神酒(おみき)は、古式の新酒醸造法によって三百年余り前から伝えられ、明治三十三年に自家製酒造が禁止された後も、この宇賀神社など全国四十数カ所*1 でどぶろく造りが許可されているそうである。
 神社での醸造は春酒と秋酒の年二回。春酒は伊勢神宮へ奉納し、秋酒はわれわれ一般参拝客に振る舞われる。その振る舞われるどぶろくで有名な祭りなのだ。是非一度は、作物の実りに感謝の気持ちを込めてこのどぶろくを味わっていただきたいものだ。

 さて、春に1本苗で植えた山田錦は、倒伏することもなく分株し太い束になって背丈約1m強の りっぱな稲に成長していた。田植えの後、ご近所の農家のおじさんたちから、1本植えの貧相さを憂う声があったものの、収穫時の立派さを実感していただけた形となった。*2 その山田錦を、高松酒販青年会有志と、高松に誕生した酒好きの消費者の会「美酒探求倶楽部」他の方々と、手刈りし、畦架けした。だれもが、立派に実った山田錦に満足したのであった。

 讃美は、高松酒販組合のK君の企画、掛け声の元にはじまった。川鶴酒造の杜氏入魂のお酒をタンク1本を讃美会で囲い、讃岐の匠、讃岐の米にこだわり、手植え手刈りしたこの山田錦で、現在でも仕込んで造って貰っているすっぴんの無ろ過のお酒なのだ。

* 1 どぶろく祭りを調べられておられるサイトがあります >>>こちら

*2 米つくりのイロハも知らないのに生意気言ってすいません!>>>こちらを 酒米 山田錦の作り方と買い方 永谷正治著

*3 室本の麹屋、皇太子神社の記述のある四国新聞の記事  >>>こちら

<酒蔵ロマン街道 酒国の旅その3へ続く>

 

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*上記の文面は、地元香川の酔甕友の会が作った地酒にまつわる小雑誌 「HOGAITAN 酔甕」に私、ムッシュが投稿した文面です。 (その1-その2まで)