◎栗林公園。この天下の名園は、高松市民の憩いの場としてだけでなく、広く全国からの観光客も多く訪れている。特に南庭を散策すると、菊月亭などのお殿様の茶室別邸や、皐月亭、小松亭、吹上亭、花園亭などの公園内の茶店からの風景も素晴らしい。木漏れ日の中で、茶室、茶店でしばしの休息も楽しい。
チケットに地図が書いてあるが、入り口にA4サイズの地図があるので貰っておこう。
東門から入り西へ、すぐに商工奨励館前に出る。ここで時間があれば北庭から南庭へ、時間がない場合南庭だけは見ておくといいだろう。時計の反対周りで周るのがお勧め。
○栗林公園のはじまり
寛永初年(1625年)、高松藩主生駒家は、佐藤志摩介道益の庭をもとに、現在の地に下屋敷として栗林荘を築いたのがはじまりといわれています。美しい紫雲山を背景に南湖一帯を造園し、以来松平五代頼恭にいたる100年あまりの間、歴代藩主が修築を重ね、延享2年(1745年)遂に完成させたもの。その後、明治6年、県立公園として定められ、藩政時代に“栗林荘”と呼ばれていたものが“栗林公園”の名で一般公開されるに至りました。
下屋敷では、藩主の鴨猟や茶事をはじめ美しい景観を味わう憩いの場であり、社交的な機能を備えた場でもあったが、“栗林荘”の作庭にあたっては、地域住民の飢饉対策として救民に役立てたり、産業の振興にも貢献した薬園などを有し、下屋敷という以上に地域住民への重要な役割を果たすものだったようです。
○4大名園のひとつ(3大名園と番外名園?!)
江戸時代から水戸の偕楽園、金沢の兼六園、岡山の後楽園が3大庭園と一般的に言われていますが、実は、もうひとつ栗林荘を入れるはずだったが、水戸藩からの分家としての高松藩の立場がありはばかったとの逸話がある。江戸時代の水戸の御老公こと光圀候の兄が高松藩初代藩士として統治する事となったが、長男を差し置いて水戸家家長に着いた光圀公は事の外、高松藩を守り立て、高松藩と水戸藩の良好な関係は幕末まで続いたといわれています。
栗林公園の作庭様式は“廻遊式大名庭園”と呼ばれるもので、江戸時代に花開いた庭園文化の傑作とも言えるでしょう。廻遊式大名庭園とは、広大な土地を利用し、池泉や築山などを配し、めぐり歩くことで空間を楽しむ様式です。それまでの、一定の視点からの眺めを追求した“座観式”では見られない手法で移り行く景観を堪能できます。栗林公園は、この日本庭園の粋を極めた空間構成技術に基づいたもので、一歩あゆむごと変化に富んだ庭景の数々が
"一歩一景" と言われるゆえんです。
栗林公園は大きく南庭と北庭に分かれ、六大水局と十三の築山を中心に構成され、江戸時代に作庭された南庭周辺は、廻遊式大名庭園の手法を色濃く残し、汀線の優美な南湖一帯、美しいかたちを誇る富士をならった飛来峰をはじめ、様々な造形が絶妙に配され、一歩一景の異なった庭景をつくります。
廻遊式大名庭園、栗林公園は、造形美と自然美の共存でもあります。自然とは、壮大な背景として西湖の背後に佇む紫雲山も含め、四季折々に彩りや装いを変える自然の姿です。そして、栗林荘を愛した藩主たち、また、管理に携わる人々の細やかな心配りによって今日まで継承された伝統美であり、その調和こそが現在の栗林公園を支えていると言えるでしょう。
隅々まで美を尽くした庭景を堪能できる栗林公園。中でも、代々の藩主がこよなく愛した茶屋、南庭の掬月亭は、庭全体の求心的景として特に重要な存在であり、ここから望む南湖の絶景もさることながら、飛来峰からの眺めは栗林公園の象徴的な景観となっています。
資料 (社)香川県観光協会 香川県栗林公園観光事務所
*開園時間は日の出、日の入りにあわせて季節で変化
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◎ 開園時間 |
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◎ 公園入園料 |
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